アート・ル・シティ

ゲストもキャストも楽しめるアーティストのテーマパーク」を創るべく白鷺桜優(シラサギサクヤ)が立ち上げたとある街の物語。神話を創るようにゆっくりと組み上げて行く予定。これから起こることが街を豊かにしていきます。さて、これから誰がやってくるのだろう…?

かつて自分が書いた文章に赤ペンを入れてみた

 文章だけ読みたい方はこちら。

「心の輪をひろげる体験作文」というので高校3年生のとき優秀賞を取ったときのものです。障がい者福祉の内容。

art-le-ctiy.hatenablog.com

 

 

とりあえずワードの文字カウントに聞いたら「2000文字」くらいあるらしい…。

課題どうだったっけ…? 原稿用紙5枚も書いていいものだったのか…?

 

とにかく、ダメだししていこうと思います。

7年前の文章になるので、それなりに状況も変わってますし。

 

 公共施設が憎い。生まれて初めてそう思った。私がボランティアとして車いすの男性の介助をしながら、札幌や大通を散歩していた時のことである。私は日ごろからボランティア活動が趣味で夏休みを利用してまた色々やってみようと思っていた。その時ボラナビのホームページで車いすの介助者の募集をみつけた。そして新たな経験ができると思いやってみることにしたのだ。

 

はい、当時も話題になった書き出しです。

否定語ってインパクトが強いんですよ。キャッチとしてはある意味最高です。

ただこれ日常生活でパワフルに連発すると「怖い」とか「否定された」という印象の方が残りやすく【本当に伝えたいこと】がぼける可能性があるので気をつけてください。

同時に「ないものは『ない』」のでイメージしにくいらしいです。

 

 車いすを押しながら、駅構内を地下鉄に乗るため案内板通りに歩いていくと階段しかない。男性は「僕たちはあの看板をあてにしちゃいけないんだ。こっちに行って」そうして、目立たないところにあるエレベーターを利用する。地下と地上を行き来するために地下鉄のエレベーターの乗り継ぎが必要だった。それに地下鉄に乗るのに四、五十分は掛かる。身障者用トイレも少なくて、地下街を端から端まで歩いた。デパートには車いすには開けにくい両開きのドア。通るだけで車いすをガタガタさせるインテリアのタイル。使いにくいインテリア重視の本末転倒なスロープがあるのは驚いた。

 

これ当時のさっぽろ駅からすすきの駅近くまでの描写ですね。物理的なバリア。

さっぽろ駅はそれなりに改善されたように思います。

南北線のところに直通エレベーターができたはずだし、ガタガタのタイルは早々になくなりました。

大通はどうだったかな…?

身障者用のトイレの改修工事があったのは覚えてるんだけど…。

スロープ? 聞くな。まだ残ってるから。

今、横でめちゃめちゃバリアフリーの話してる…! 道の状態の話とかしてる…! お店の道幅の話とかしてる…! 車椅子トイレの話してる…! 自販機…!? 市電…!!!

大通り周辺、身障者トイレ、やっぱ少ないみたい…。

 

そう考えると書くだけ書いて意外とちゃんと見てないよな…。

東豊線とかバス周りとかどうだったけ?」と思っている私がいる…福祉や障がいといっても、少し畑が変わるだけで「あ…」ってなったりするんですよね。

 

 一緒に昼食を食べていた時に私は「公共施設ってどうしてこんなに使いにくいんでしょう」と尋ねた。すると男性は「お役所仕事で『とにかく使えればいいんだろう』って使う人のことを考えずに作るからこうなるんだよ。お金もないしね。僕らはただでさえ不便で疲れる体なのに、普通の人より何倍も疲れることをさせられる」とバリアフリーの不届きを批判していた。

 

最初といい、この文章といい「絶対に最優秀は無理だろw」な文章。主催どこだか考えろって話www

でもこの「飾らない・狙わない」感じがよかったりもします。

 

なんにせよ当時、本当に当事者からヒアリングしたことで『本音・本気の生の声』だから、こちらとしては「それを受けて何を考えるか・書くか」しか考えられない。しかも無視できないですよね、この話。公的機関としても。

こんなのが高校生から出てきちゃった(笑)

 

てかこんな文章を私はただ「実体験と感覚だけ」で書いてたんだな…。

いくら国語の先生が添削入れてくれていたとはいえ…マジか。

 

 同時に私はなんて冷たい社会なのだろうと思った。公共施設は健常者主体にできている。車いすの男性のような障がい者のことが考えられていない。公共施設自体が障がい者を排除しているように私には思えた。障がいがあるだけで就労が困難になることがあるなど、差別や誤解を受けることもあるそうだ。しかし私にはわからなかった。障がいとはそもそも何なのか。健常という状態とどう違うのか。それが知りたくて、今度は四人の知的障害者との二泊三日のキャンプに出かけた。

 

この文章「二度と書けません…」って感じ。

現場と実態を少しでも知ったら書けないよ…青い。超青い。

公共施設以外も基本的に何でも「マジョリティ(多数派)主体」で物事できてるから。

色々とマイノリティによる声もガンガン出るようになって…一時よりはフラットになってきてるんだろうけど…まだ遅いし足りないし差別・偏見も残ってるよね。

 

というか『刷り込まれてる』んだよね。

差別も。生き方も。とにかくいろいろ。

 

その中でもファーストペンギンになって飛び出して、また新たなムーブメントやマジョリティ…時代の流れを作っていく人が『イノベーター』と呼ばれたりするんだろうな。

その飛び出して、さらには【ぶち破っていく】ことがこれからの『私たちの仕事』なんだろうな。

 

形は何であれ。私は「平和と平等」を目指したい…と急に思う。

 

 キャンプ中は知的障がいの人達は片言で話す人も多く、何を言わんとしているのか察するのが大変だった。それからテレビのリモコンの取り合いが起こったり、登山の際に年齢的は大人の人がおんぶを要求してきたり、子供っぽさを見せることもあった。そして寝るも食べるもマイペース。でも、とても素直で明るい人たちだった。積極的に作業を手伝ってくれる人もいた。陽気に歌って楽しませてくれた子供も、嫌な登山を泣きながら頑張った子供もいた。彼らの行動に手を焼き、困ったこともあったが非常に楽しく、充実した二泊三日であった。

 

特に文章としては特に言うことないけど…。

社会人としては甘ちゃんだなぁと…。

 

 しかし私が知りたかった疑問はさらにわからなくなった。そもそも障がい自体が千差万別なのである。同じ知的障がいと言っても、人が違えば私が会った四人とも全く違う特徴や症状を示すだろう。個人差がかなり大きいのだ。それに手が掛るといっても本人の特性を理解し、適切な接し方をすれば関わっていくことに何の問題もない。苦手克服のための努力をしたり、長所を見つけて活かしたりすることもできる。障がいと健常の違いは知れば知るほど、考えれば考えるほどわからなくなっていく。誰しも短所もあれば長所もある。健常者でも全てのことができるわけではない。場の雰囲気のわからない人もいる。そもそも障がいを持っている人が悪いわけではない。ただ持っているその人の性質に過ぎない。

 

これ本当。

はっきり言って書いてることは「正論だけど、そんな簡単じゃねーよ!」って内容なんだけど、本当にその通りで。

「○○障がい」ってカテゴライズされてても、個人差が大きすぎて「障がい名とかどうでもいいから、特徴と配慮すべきことを教えて」ってなる…!

実際「障がい名を告げられない」ということも多いです。障がいの知識が先行して『当事者自体が見えなくなる』ことがあるから。

正直、正社員で現場入ってても「知的障がいは知的障がい」としか言われないし、書面上の等級とか区分とかもあるんだけど、それが同じでも全然対応違うから…!

そして「機会がなくてできていないのか」と「どんなに頑張ってもしんどいことなのか」は正直、一緒にいないとわかりません。

軽度知的障がいの場合は特に。「ゆっくりやればできた!」ということも多いです。

あと「併発」ってパターンも多い。

典型的なパターンがダウン症の人の「知的障がいと心臓病」ですね…ダウン症の人は心臓が弱い人が多いんです。

 

 ならば健常と呼ばれている人と何も変わらないではないか。違いがないなら考えてもわからないのは当たり前だ。健常者の視点から見れば、障がいは目に見えるハンディかもしれない。でもそれは必ず尊重されるべき個性であり、隠れた才能と知の片鱗だろう。彼らが抱えたハンディの分、素晴らしい才能を与えられているはずだ。

 

 目に見えないハンディも多いです。

内部疾患とかね。ヘルプマークの認知度とかもまだ怪しいしね。

 

そしてこの文章(文字の制限とか取っ払った上で)の最大の欠陥は

精神・発達系の障がいについて触れられていないこと。

次の段にトム・クルーズの事例が出てくるだけなんだよね。

そう、本は読んでたの。いろいろ。アスペルガーとかADHDとか。

ただ当時そのあたりのことをちゃんと認知してなかったんだよ…。

その上で「同じテーマでもう一回書け」といわれると凄く難しいんだよね。

 

わかんないもん。よっぽど負のオーラ出してて凄く病んでる人以外。

 

「この人それっぽいな」とかそれなりにわかるちゃわかるけど…普通に生活してしてるし。

そもそもこの現代社会にはわんさかいるぜ? 普通に学校とか会社とかにいるぜ?

そもそも「病態水準」っていう考え方では「みんな病んでるのが大前提」だぜ?

神経症」という「つらくて病んでるけどなんとか社会生活を送れている人(ちゃんとした定義に関しては自分で調べてください)」という状態が健常とされています。

 

正直、老化とか事故とか病気とか考えても…精神系は特にそうだと思ってるんだけど。

「障がい」と「健常」は紙一重だぞ?

ヒトゴトだと思ってない…? 甘いよ、その考え。

 

 実はハリウッド俳優のトム・クルーズもLDと呼ばれる障がいを持っている。彼は障がいがあろうとも俳優としての才能を開花させた。障がいがあるから才能や生き甲斐を求められないということはあってはならない。トム・クルーズのように才能を開花させることができれば、それは障がい者の幸せにつながる。そして才能を発揮する障がい者たちは社会の財産にもなることだろう。

 

発達障がい系の人はこのパターン多いですよね。最近だと栗原類さんとか。

歴史上の人物の科学者・画家・革命家・発明家は発達障がいの可能性が高いといわれてたりもしますね。

実際、どっかいい感じにぶっとんでる人多いよ。本当に。

 

 才能と共に、障がい者は私達にはない視点を得ており、それを与えてくれる。車いすの視点からは本当に使いやすい、快適な空間とは何かを。知的障がいからは人間の新たな側面を。障がいと言っても千差万別。障がいという視点を持つ人の数だけ、私が知らない英知がもっともっと隠れているに違いない。

同時に私達が知らないことだけではなく、生きる上で必ず必要な素朴なこともふれあいの中で教えてくれている。相手の身になって考えること。人に真剣に向き合うこと。障がいそのものが人を育てることも出来るのだ。

 

これ障がいがあろうとなかろうと「人を含め何かと向き合う上での基本」です。

全治全能の人間がいてたまるかよ。

 

 社会の財産である障がい者たちは、「社会でもっと私達を尊重してほしい」という訴えと、彼らが体現する音のない何かによって、私達に問いかける。本当に大切なものは何か。よりよい社会とは何か。この問いかけに私達は全力で答えていくべきだ。障がいが排除されず、個性として尊重される暮らしやすい社会のために。そうすることによって、全ての人にとって本当に暮らしやすい優しい社会になっていくはずだ。障がい者にとって優しい社会は、私達にとっても優しい社会なのだから。

 

…これは「障がい」という視点から切り込んでいるだけで。

全てに言えることじゃない…?

あえて最後の文には下線を引っ張りました。

この最終段落、特に下線の最終文だけは

 

「全ての人にとって本当に暮らしやすい優しい社会」が実現するまで変えられない。

 

そんな気がします。

 

P.S.

今でも「障がいとは何か?」と問われても、わかりません。

今だからこそ、わかりません。

というか、やっぱ、根本的には「障がいも健常もないんじゃない?」という同じ結論に行き着くね…。

個性の発見

書くに至るまでの経緯はこちら。当時の文章そのままです。

 

 

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平成22年度「心の輪を広げる体験作文」優秀作品「個性の発見」

高校生・一般市民部門 優秀賞

 

 公共施設が憎い。生まれて初めてそう思った。私がボランティアとして車いすの男性の介助をしながら、札幌や大通を散歩していた時のことである。私は日ごろからボランティア活動が趣味で夏休みを利用してまた色々やってみようと思っていた。その時ボラナビのホームページで車いすの介助者の募集をみつけた。そして新たな経験ができると思いやってみることにしたのだ。

 

 車いすを押しながら、駅構内を地下鉄に乗るため案内板通りに歩いていくと階段しかない。男性は「僕たちはあの看板をあてにしちゃいけないんだ。こっちに行って」そうして、目立たないところにあるエレベーターを利用する。地下と地上を行き来するために地下鉄のエレベーターの乗り継ぎが必要だった。それに地下鉄に乗るのに四、五十分は掛かる。身障者用トイレも少なくて、地下街を端から端まで歩いた。デパートには車いすには開けにくい両開きのドア。通るだけで車いすをガタガタさせるインテリアのタイル。使いにくいインテリア重視の本末転倒なスロープがあるのは驚いた。

 

 一緒に昼食を食べていた時に私は「公共施設ってどうしてこんなに使いにくいんでしょう」と尋ねた。すると男性は「お役所仕事で『とにかく使えればいいんだろう』って使う人のことを考えずに作るからこうなるんだよ。お金もないしね。僕らはただでさえ不便で疲れる体なのに、普通の人より何倍も疲れることをさせられる」とバリアフリーの不届きを批判していた。

同時に私はなんて冷たい社会なのだろうと思った。公共施設は健常者主体にできている。車いすの男性のような障がい者のことが考えられていない。公共施設自体が障がい者を排除しているように私には思えた。障がいがあるだけで就労が困難になることがあるなど、差別や誤解を受けることもあるそうだ。しかし私にはわからなかった。障がいとはそもそも何なのか。健常という状態とどう違うのか。それが知りたくて、今度は四人の知的障害者との二泊三日のキャンプに出かけた。

 

 キャンプ中は知的障がいの人達は片言で話す人も多く、何を言わんとしているのか察するのが大変だった。それからテレビのリモコンの取り合いが起こったり、登山の際に年齢的は大人の人がおんぶを要求してきたり、子供っぽさを見せることもあった。そして寝るも食べるもマイペース。でも、とても素直で明るい人たちだった。積極的に作業を手伝ってくれる人もいた。陽気に歌って楽しませてくれた子供も、嫌な登山を泣きながら頑張った子供もいた。彼らの行動に手を焼き、困ったこともあったが非常に楽しく、充実した二泊三日であった。

 

 しかし私が知りたかった疑問はさらにわからなくなった。そもそも障がい自体が千差万別なのである。同じ知的障がいと言っても、人が違えば私が会った四人とも全く違う特徴や症状を示すだろう。個人差がかなり大きいのだ。それに手が掛るといっても本人の特性を理解し、適切な接し方をすれば関わっていくことに何の問題もない。苦手克服のための努力をしたり、長所を見つけて活かしたりすることもできる。障がいと健常の違いは知れば知るほど、考えれば考えるほどわからなくなっていく。誰しも短所もあれば長所もある。健常者でも全てのことができるわけではない。場の雰囲気のわからない人もいる。そもそも障がいを持っている人が悪いわけではない。ただ持っているその人の性質に過ぎない。

 

 ならば健常と呼ばれている人と何も変わらないではないか。違いがないなら考えてもわからないのは当たり前だ。健常者の視点から見れば、障がいは目に見えるハンディかもしれない。でもそれは必ず尊重されるべき個性であり、隠れた才能と知の片鱗だろう。彼らが抱えたハンディの分、素晴らしい才能を与えられているはずだ。

 

 実はハリウッド俳優のトム・クルーズもLDと呼ばれる障がいを持っている。彼は障がいがあろうとも俳優としての才能を開花させた。障がいがあるから才能や生き甲斐を求められないということはあってはならない。トム・クルーズのように才能を開花させることができれば、それは障がい者の幸せにつながる。そして才能を発揮する障がい者たちは社会の財産にもなることだろう。

 

 才能と共に、障がい者は私達にはない視点を得ており、それを与えてくれる。車いすの視点からは本当に使いやすい、快適な空間とは何かを。知的障がいからは人間の新たな側面を。障がいと言っても千差万別。障がいという視点を持つ人の数だけ、私が知らない英知がもっともっと隠れているに違いない。

同時に私達が知らないことだけではなく、生きる上で必ず必要な素朴なこともふれあいの中で教えてくれている。相手の身になって考えること。人に真剣に向き合うこと。障がいそのものが人を育てることも出来るのだ。

 

 社会の財産である障がい者たちは、「社会でもっと私達を尊重してほしい」という訴えと、彼らが体現する音のない何かによって、私達に問いかける。本当に大切なものは何か。よりよい社会とは何か。この問いかけに私達は全力で答えていくべきだ。障がいが排除されず、個性として尊重される暮らしやすい社会のために。そうすることによって、全ての人にとって本当に暮らしやすい優しい社会になっていくはずだ。障がい者にとって優しい社会は、私達にとっても優しい社会なのだから。

 

***********************

読み直し始めたら、赤ペンを入れてみたくなって。

入れてみたら凄いことになった↓

 

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母校「北星学園大学」に行ってきた


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行ってきましたわが母校!

2年ぶりくらいかな・・・?

 

「何のために?」

よくぞ聞いてくれた!

「単位表」を取りに行ってきたのだ!

社会福祉士を将来的に取りたいんだけど「取ってる単位数がめちゃめちゃ半端」という状態だったから、確認しないことにはどうしようもなかったんだよね~。

実際、ほとんど足りてなかった。

しかも社会福祉士過程の単位は少なくても北星では卒業までに取りきる必要があって、卒業してから「科目等履修生」になって補うことはできないんだって。教職はいけるらしいんだけど。

他の講座受けるにしても単位表明で節約になるならそれに越したことはないし、社会福祉士対策試験講座なんかもあるので、とにかく情報はホールドしておくに限る。

 

・・・で、なんだで大学に行くと食べたくなるのが学食!

懐かしいなー。一人暮らししてからはぼちぼち食べてた。

 

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そんでもって学食を食べ終わったら「アカペラサークルぽらりす」が夏のライブ中。

しっかり見させてもらって、ちゃっかり動画も撮ってきたんだけど…。

(全部は私が疲れるのと、スマホのメモリーに崩壊されても困るので撮ってません)

スマホからPC・ブログに落とす方法が全くわからなくて・・・バイト数の限界でフリーメールでも送れないわけ。フェイスブックから動画はダウンロードできないみたいだし。

 

苦肉の策でフェイスブックに投稿しました。

さらには編集しきれずツイートに引っ張りました。ややこしい。

撮ってないけど、一つ目の動画の歌いだしの男の子がリードボーカルでトップバッターに歌ってた「ジョニー」っていうユニットの歌も結構よかったんだよね~。

てかこの上の動画は「サークルのエースを集めたんだろうな」って感じです。

このあとに歌ってたユニットのリードボーカルの男の子の「パワフルな透明感のある声」もよかったんだけど、おねーさんの集中力の限界で撮ってません。

(決して色好みしたわけではない。男女の意味も含めて)

二人とも「透明感のある声」だったので、そういうのが好みなんだなと・・・。

 

二つ目の動画のリードボーカルが凄い。アロハシャツの彼ね。

彼の歌ってるユニットは全部クオリティが高かった。

 

私が在学中のときはサークル自体ができたばっかで「?」ってなってたんだけど、キラキラしてんなぁ・・・ってなった。

私もこうだったかなぁ・・・?

ただ懐かしいだけかなぁ・・・?

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そして最後にサークルのマスコットキャラが登場。

人形劇講座終わったばっかりだから思うけど・・・めちゃめちゃ頑張ったんだろうな、これ。

 

そして学内へ。

私の卒業とともに大幅な改築工事が完了。

めちゃめちゃ構造が変わってもう「ガラス張り大学」になってます。

在学中はもう少し地味を通り越して工事中でした・・・。

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というわけで半分くらいどこに何があるかわからない・・・という状態。
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 とにかく、学生支援課に行って単位表やあちこちつれ回してもらって、社会福祉士関係の情報をGET。

基本目的クリア。

 

あとは裏目「ロケハン」

いつか何かで使えそうなところをハンティング!

こちらは改築によってできた北星のホール。
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職業病。袖中も気にします。

講演用のホールだと思うから、照明設備とかはあれだと思うんだけど・・・サークルは学校祭とかここで公演したりするのかなぁ?

 

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客席チェック。下手な劇場より入るんじゃね? 200人は軽く行きそう。


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そして王道「チャペル」!!!

在学中に聖歌隊でお世話になった先生が練習中。

「ここでパイプオルガンとコラボで何か出来ないだろうか?」とか考えます。

結婚式で借りることはできる(片方でも在学生だと割引あり)らしいのですが、イベントだとどうなんだろ・・・?

それを確認したかったのですが、生憎それがわかりそうな人が不在。

まぁ、またの機会に。

大学がテストからの夏休みで今いっとかないとやばいなと思って弾丸で行ってきたので、誰にも予告も挨拶もしてないのさ。

 

てか、色々調べたら「起業」関係のサークルみたいなのも立ち上がってて、私が知らなかったんじゃなくて今の「フリーランス成長期」みたいなものはもう時代の流れだったんだなと。

・・・今「フリーランス」とか「プロブロガー」とか言われてる人たちは『イノベーター』だったんだなって思った。

経済・経営系の学部にいた人は知らんけども。

てかフリーランスのあの人、学科学部違いで経済学部じゃない先輩なんだよね・・・海外渡航歴があったからその辺かな・・・?


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そんでもって、 次の予定まで少し時間もあったしお腹がすいたので、在学中「センター棟」と呼ばれ、ほぼ学生が近寄らないような「The 事務棟」だった場所が今ではお洒落なカフェテリアに。

国際関係の情報とかもここに集まってるみたい。あと2回はミーティングルームとかかな。
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パンケーキ280円。

結構おいしかった。てかこれで280円で何時間いてもいいとかめっちゃお得。

また作業したいときとか大学行くのありだなぁ・・・。

今月の大仕事が全然進まなくて・・・やばい。

自分が言った期日破りそう。

 

・・・大学で解決だ!!!

 

幸せのお裾分け

昨日、家の近くで新しい居酒屋さんがオープン。

店頭に飾ってあった花輪(で合ってますよね?凄くでかいお花のやつ)から拝借。

このときの店のお花を持っていくというのは、北海道独特の文化らしいです。

 

まぁ、でも捨てられたり、枯れたりするくらいならいいよね。貰った方が。

 

というわけで。



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「紫の薔薇」のロマン足るや…!


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こんな感じで。

これから私も、お裾分けしてきます(*^^*)

 

カミングアウト

一昨日

私のような感覚の持ち主は、理解されないことを知った。

厳密に言うと、面倒なやつ扱いされて無下にあしらわれたりするし。説明しないとわかってもらえない。

「理解しようともしない態度をとられた」とも解釈できた。

 

昨日

ちょっとした相談をされた。

それは私の中では体感をもって経験済みのことで「ああ、こういうことだよ」とさっくり返した。

その人の感覚はある点において、とても似ていて。

その人の相談内容は私にとっては通り抜けてきた道だったから。

そして私と似ている点を指摘したら、もっといろんなことを話してくれた。

 

客観的に聞いていれば、お互い結構突拍子もない話をしているのだけど、お互いそこに違和感はない。

 

雑談の延長。

 

そして別れ際「周りに話しても理解されないことが多いから話せてよかったです」と言ってくれた。

 

 

…こうやって実はオフレコでは隠していないけど、公然とはまだ言いにくい話がある。

 

このことをカミングアウトすることによって誰かの誤解を解いて、誰かの安心になるなら。

 

さっさとカミングアウトしてしまいたい。

公然と認めてしまいたい。

 

そう思うが…やはり迷っている。

まず話すべきであろうところに話していないので、そこからかなぁ?と思う。

 

悪いことでもなんでもない。

「ただ、そこに在るだけ」

こういう人は程度や方向性の差こそあれ、結構いる。普通に社会に紛れてる。

ただ「空気」みたいなものに呑み込まれて、在り方がわからなくなってる人、つらい人がいる。

 

…なるべく早く、その溝を埋めにかかりたいと思う。

白鷺の【観劇レポ】の流儀

 

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 もう、これを書いたときのPV…つまりアクセス数の伸びが凄くて。

はてなPro」という有料サービスは使ってないので細かい部分はわからないのですが、このブログで一番アクセス数が多い記事です。間違いなく。

 

6月6日からはじめて6月中のPV数が「1327PV」だったんですけど。

最初平均1日PV数が20~25PVくらいで。

これを書き始めたあたりで一気に伸びたのです。1日に218PVなんて日もありました。

(告知記事がちょっと多い時期でもあって、1日に2記事書いてたこととか、他の要因もあっただろうが)

だからどんなに少なくても200PV、おそらく300PV…人数にしてそのくらいの人間は見ている…と推定されるわけです。

 

「やべぇ! ぱねぇ…!」と本気でびびって、ブログ内に【観劇レポ】というカテゴリーを作りました。

とかと同時に「あー、やっぱ私、札幌の演劇の人なんだなぁ…」と思うわけです。

そして同時に「とにかくルールは明文化しておくべき!!!」と思ったわけです。

 

なので私として【観劇レポ】を書くときに「気をつけていること・気をつけようと考えていること」はこんな感じ。

 

・できるだけ公演期間中の中でも早めのステージを観にいく。

・その上でステージを見終わった後にすぐに書く。

そんなことするくらいだったら公演アンケートに書いてやれよというツッコミは受け付けません。なぜなら私自身が「公演アンケートを書く」という行為そのものが苦手だからです。もう終わった瞬間は公演の余韻に浸っていて、言語化できてないし、したくないからです。じっくり味わいたいんですよ。

ネット上に上げておくと「営業宣伝効果」も多少ですが見込めるので、そこも加味しています。

どうしても千秋楽(その演目の最後の公演のこと)にしかいけなかった場合は少しゆっくり書きますが、感動が消えないうちに書くので最低でも1週間以内かなぁ…?

・ネタバレ・今後の活動への配慮。

・とにかく「ニュートラルな立場の主観」で書く。

・とくに札幌の劇団の演目の場合は「褒めない」

下線部2つはわりとセットです。私自身も「札幌で演劇をやっている人間」なのであんまり「いいね!」みたいに書くと『身内褒め』になっちゃうんですよ。特に顔見知りが関わってたりするとそうなっちゃうんです。基本的には「身内だけで盛り上がってる感」は出したくないのです。

だから私が褒めてるときは「よっぽどよかったんだな。ツボだったんだな」と思ってください。

じゃないと基本書けませんし、書きません。

・面白くなかった演目は観にいったとしても書かない

ぶっちゃけ業界内でうるさいんです。こういうことネットに流すと。学生時代はあんまり考えずに「私はここをもっとこうしたらよかったと思う!」とか平気でSNSで書いてたんですけど、これやると実は裏で嫌われたり面倒くさい扱いされてたりします。それこそ「そういうことは公演公式アンケートor公式HPで書くか、オフレコでやれ」みたいなことを言われたことがありますが。そんなに思い入れがある劇団も演目もないから。そもそもそういう演目だったら粗なんか見えないって。さらにいうと面白くなかった演目に関しては書くだけこちらの労力の無駄だし、ネタにすらならない。

・思い入れのありすぎる劇団や演目については書かない

というか書けない…。思い入れがあっても客観的に見て書けるところなら書きますが「唯一ここだけは現状絶対に無理」というところが1つだけあります。最近とあるコンテンツも出し始めており、コンテンツそのものが公開途中なのもありますが…。作ってるもの以外の他のこととかも気になってしまって…。それこそ、そこに関しては機会があればオフレコでやりとりします。てかSNSでの小娘の意見にウダウダ言うくらいならこう言わせるくらいことをしてみやがれってんだ。身内で褒めあって満足してるから伸びないんだよ、全く…!

・次回公演情報があればその案内もちゃっかり掲載。

「この役者みたかったわ…!」というレスポンスを頂いたりもしたので。そこはそこでなんかあれば、出来る限りのやりとりをしたりします。

 

くらいですかね。

 

というか「1回演劇にうんざりして離れてしまった人」で「高校1年生から9年間、ずっと札幌小劇場演劇」を観続けてきた人なので。

もう既に「札幌小劇場演劇」に飽きてきちゃってるんですよ。

それに新しく団体が出来ても「なんだかんだで1~数回で立ち消え」というパターンもかなり多いのでここ2~3年で出来た新しい演劇団体は追いかけていません。

まず「単発公演」なのか「形はなんであれ何かしら続けて生きたい団体の公演なのか」がわからないんですよね。新しいところでも興味が出て調べることもあるし、気になってはいるんが流しちゃってることもあるんだけど、広報配信を見てる段階で関心をそがれるパターンがほとんどです。そんなこんなで私が新しいところで注目してる団体は現状「1つだけ」です。

というわけで。

 

そもそもあんまり観にいかないと思う。

 

なんかきっかけがないと行かないですね…。

信頼している人・応援したい後輩に誘われたとか。

本当に気になる劇団・演目があるとか。

そうじゃないと行かないですね。

もうフライヤー(チラシのこと)1枚とか知り合いのメール1つで闇雲に観にいったりしません。

てか「来て来て!」っていう人に限って、こっちがやる時に「きて!」と言っても来てくれません。単純にスケジュールが合わないとか、そもそも自分でがっちり活動しててそれどころじゃないという人物は別ですが。「ただダラダラやってるだけの人」に関しては行くだけ無駄です。そこまで面白いことも実験的なことも生産的なことも前衛的なことも『まず』してません。「友達がやるから観にいく」くらいの感覚ならいいけど、自分も演劇問わず何かやってるなら、そういうところに行くのは時間とお金の無駄。本当に。

そもそも業界全体で言われていることだけど「身内だけでまわしてる感」が嫌なんですよね。

「大学サークルから出来た劇団のお客さんのほとんどがサークル関係者」とか典型的なパターン。最初は仕方ないと目を瞑ってあげたいけど、本当に嫌い。

 

とかなんとかいいながら「縁のある業界」であることは間違いないので、ちょくちょく行くでしょう。なんだかんだで。

というわけで「(特に札幌小劇場に関しては)アウトローな演劇関係者が書く観劇レポ」というのが私の書いている観劇レポの特徴になると思います。

 

こんな感じですが、興味ある人は「カテゴリー【観劇レポ】」で追いかけてみてください。

よろしくお願いします。

 

 

 

【観劇レポ】下鴨車窓さんの「渇いた蜃気楼」を観てきた

 

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というわけで、観てきました。

ワークショップ受けてる段階から「何をどこまで書いてもいいものか…」と非常に筆の迷う状況だったのですが。

 

今も筆が迷っています。

少なくとも、作品に関してあんまり言及しちゃいけないと思う。

 

ともかく書けるところからざくざく書いていくと…。

 

7月1~2日にかけて札幌で公演された演目です。

実は私、本来1日に観にいく予定だったのに2日ずらしてもらってます。

1日の札幌がめちゃめちゃ暑かったのと、私が個人的に忙しい状態が続いて夏バテしまして1日は全く動けず…。

 

そういう状態で「ともかく予約の変更をせねば」と劇場と団体公式TELに電話。

するとすぐに劇団公式TELから代表直々に折り返しが!

本番前で忙しいはずなのに、なんと真摯な対応!!

予約変更を快諾していただいた後に、すぐに予約変更の確認メールまで!!!

 

制作周り、めっちゃいい仕事してます…!

 

そしてなんとか2日は劇場入り。

客入れ(お客さんを劇場に入場させること。またそのときに劇場内で流れているBGM)では蝉の声が。

さらには劇場内がものすごい熱気で暑い暑い…!

2日も結構昼間は暑かったので、内心「外までくそ暑いのにふざけんなよ…」と一瞬思ってしまうレベル。会場満席だったし。

ですがこれは、夏の物凄く暑い日の演目。

「ま、まさかあえて会場まで暑くして演出効果を…! なんて凝ったことを…すげぇ!!!」とか思ったんですが。

 

前説(演劇の上演前に告知される注意事項などのこと)で。

 

「朝来たとき寒かったので暖房を入れたのですが、暑くなってきたので暖房を切りました。もしかしたら熱い寒いでてくるかもしれませんのでーー」と。

 

あ…演出じゃなかったんだ…。

でもお客さんへの配慮凄い。やっぱ誠実な人だ…!

 

演目については凄くリアル・写実的という感じで…。

今「演劇」を見せられているのか「とある人の家の風景」を見せられているのかわからないという印象。

それからかなり「見せ方」へのこだわりも感じました。

カメラマンだったら「ここでシャッター!!!」というシーンがチラホラ。

「沈黙」の威力といいますか…。

日常でも「沈黙」って誰かといると凄く怖かったりすると思うんですけど、そこといかに上手く付き合っていくか…? みたいな。そんな部分が素敵でした。

あと語りが綺麗。純粋に。

 

そして「そこにあるはずなんだけど、出てこない情報」の深さが半端じゃない。

正直、観てて「大前提としてそもそも何があったのかわからない」みたいな部分が凄く多いんです。途中で明かされる部分もあれば、最後までぼんやりしてる部分まで。

でもそれはちゃんと輪郭を持っていて。

 

しかもどこかしらに「刺さる」ポイントがあるんですよ。

これ多分、観た人とか観るタイミングによって違うと思うんですよね。

実際に作・演出の田辺さん自身も「絶対伝えたい部分はあるけれど、伝わっても伝わらなくてもいい部分、何度も観てもらって再発見してもらえる部分があっていい」といったようなことを仰っていたので…まさにその通りで。

そしてこの演目を始められて4年目で、今後も上演を控えており、さらに長く続いていく演目であることを想定される…という状況を考えると。

 

「ネタバレ厳禁だし、本当に下手なことは書けない」

 

という結論に至るわけです。

そんな中、かけることがあるとするならば。

 

過去と現在と未来が錯綜するような物語で。

本当に「蜃気楼が見える瞬間」があった。

 

ということくらいかと…。

もし「また札幌で再演」ということがあれば、ぜひまた観にいきたいと思いました。