アート・ル・シティ

「ゲストもキャストも楽しめるアーティストのテーマパーク」を創るべく奔走する市長・白鷺桜優(シラサギサクヤ)の雑多な日常。芝居をはじめとにかくアーティストとして生きながら、普通の女の子としても生活をレポート。アート・ル・シティの都民のポップでハートフルな物語もお送りします♪

個性の発見

書くに至るまでの経緯はこちら。当時の文章そのままです。

 

 

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平成22年度「心の輪を広げる体験作文」優秀作品「個性の発見」

高校生・一般市民部門 優秀賞

 

 公共施設が憎い。生まれて初めてそう思った。私がボランティアとして車いすの男性の介助をしながら、札幌や大通を散歩していた時のことである。私は日ごろからボランティア活動が趣味で夏休みを利用してまた色々やってみようと思っていた。その時ボラナビのホームページで車いすの介助者の募集をみつけた。そして新たな経験ができると思いやってみることにしたのだ。

 

 車いすを押しながら、駅構内を地下鉄に乗るため案内板通りに歩いていくと階段しかない。男性は「僕たちはあの看板をあてにしちゃいけないんだ。こっちに行って」そうして、目立たないところにあるエレベーターを利用する。地下と地上を行き来するために地下鉄のエレベーターの乗り継ぎが必要だった。それに地下鉄に乗るのに四、五十分は掛かる。身障者用トイレも少なくて、地下街を端から端まで歩いた。デパートには車いすには開けにくい両開きのドア。通るだけで車いすをガタガタさせるインテリアのタイル。使いにくいインテリア重視の本末転倒なスロープがあるのは驚いた。

 

 一緒に昼食を食べていた時に私は「公共施設ってどうしてこんなに使いにくいんでしょう」と尋ねた。すると男性は「お役所仕事で『とにかく使えればいいんだろう』って使う人のことを考えずに作るからこうなるんだよ。お金もないしね。僕らはただでさえ不便で疲れる体なのに、普通の人より何倍も疲れることをさせられる」とバリアフリーの不届きを批判していた。

同時に私はなんて冷たい社会なのだろうと思った。公共施設は健常者主体にできている。車いすの男性のような障がい者のことが考えられていない。公共施設自体が障がい者を排除しているように私には思えた。障がいがあるだけで就労が困難になることがあるなど、差別や誤解を受けることもあるそうだ。しかし私にはわからなかった。障がいとはそもそも何なのか。健常という状態とどう違うのか。それが知りたくて、今度は四人の知的障害者との二泊三日のキャンプに出かけた。

 

 キャンプ中は知的障がいの人達は片言で話す人も多く、何を言わんとしているのか察するのが大変だった。それからテレビのリモコンの取り合いが起こったり、登山の際に年齢的は大人の人がおんぶを要求してきたり、子供っぽさを見せることもあった。そして寝るも食べるもマイペース。でも、とても素直で明るい人たちだった。積極的に作業を手伝ってくれる人もいた。陽気に歌って楽しませてくれた子供も、嫌な登山を泣きながら頑張った子供もいた。彼らの行動に手を焼き、困ったこともあったが非常に楽しく、充実した二泊三日であった。

 

 しかし私が知りたかった疑問はさらにわからなくなった。そもそも障がい自体が千差万別なのである。同じ知的障がいと言っても、人が違えば私が会った四人とも全く違う特徴や症状を示すだろう。個人差がかなり大きいのだ。それに手が掛るといっても本人の特性を理解し、適切な接し方をすれば関わっていくことに何の問題もない。苦手克服のための努力をしたり、長所を見つけて活かしたりすることもできる。障がいと健常の違いは知れば知るほど、考えれば考えるほどわからなくなっていく。誰しも短所もあれば長所もある。健常者でも全てのことができるわけではない。場の雰囲気のわからない人もいる。そもそも障がいを持っている人が悪いわけではない。ただ持っているその人の性質に過ぎない。

 

 ならば健常と呼ばれている人と何も変わらないではないか。違いがないなら考えてもわからないのは当たり前だ。健常者の視点から見れば、障がいは目に見えるハンディかもしれない。でもそれは必ず尊重されるべき個性であり、隠れた才能と知の片鱗だろう。彼らが抱えたハンディの分、素晴らしい才能を与えられているはずだ。

 

 実はハリウッド俳優のトム・クルーズもLDと呼ばれる障がいを持っている。彼は障がいがあろうとも俳優としての才能を開花させた。障がいがあるから才能や生き甲斐を求められないということはあってはならない。トム・クルーズのように才能を開花させることができれば、それは障がい者の幸せにつながる。そして才能を発揮する障がい者たちは社会の財産にもなることだろう。

 

 才能と共に、障がい者は私達にはない視点を得ており、それを与えてくれる。車いすの視点からは本当に使いやすい、快適な空間とは何かを。知的障がいからは人間の新たな側面を。障がいと言っても千差万別。障がいという視点を持つ人の数だけ、私が知らない英知がもっともっと隠れているに違いない。

同時に私達が知らないことだけではなく、生きる上で必ず必要な素朴なこともふれあいの中で教えてくれている。相手の身になって考えること。人に真剣に向き合うこと。障がいそのものが人を育てることも出来るのだ。

 

 社会の財産である障がい者たちは、「社会でもっと私達を尊重してほしい」という訴えと、彼らが体現する音のない何かによって、私達に問いかける。本当に大切なものは何か。よりよい社会とは何か。この問いかけに私達は全力で答えていくべきだ。障がいが排除されず、個性として尊重される暮らしやすい社会のために。そうすることによって、全ての人にとって本当に暮らしやすい優しい社会になっていくはずだ。障がい者にとって優しい社会は、私達にとっても優しい社会なのだから。

 

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読み直し始めたら、赤ペンを入れてみたくなって。

入れてみたら凄いことになった↓

 

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